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マリー=テレーズ・ド・ブルボン (1666-1732) : ミニ英和和英辞書
マリー=テレーズ・ド・ブルボン (1666-1732)[ひゃくななじゅうさん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull

マリー=テレーズ・ド・ブルボン (1666-1732) : ウィキペディア日本語版
マリー=テレーズ・ド・ブルボン (1666-1732)[ひゃくななじゅうさん]

マリー=テレーズ・ド・ブルボンMarie-Thérèse de Bourbon, 1666年2月1日、オテル・ド・コンデ、パリ - 1732年1月22日、オテル・ド・コンティ、パリ)は、ブルボン朝フランス王家の一員。コンデ公ルイ2世(大コンデ)の孫娘で、コンティ公フランソワ・ルイ(大コンティ)の妻である。娘時代はブルボン姫(''Mademoiselle de Bourbon'')の儀礼称号で呼ばれたが、結婚後はコンティ公妃(''Princesse de Conti'')と称された。
== 生涯 ==
コンデ公アンリ3世ジュールとその妻でプファルツ=ジンメルンエドゥアルトの娘であるアンヌ・ド・バヴィエールの間の第1子、長女としてパリのオテル・ド・コンデ(現在のオデオン座劇場)で生まれた。洗礼名はルイ14世の王妃マリー=テレーズ・ドートリッシュに因んで付けられた。
最初、遠縁で40歳近く年上のカリニャーノ公エマヌエーレ・フィリベルトとの縁談があったが、カリニャーノ公がブルボン姫との結婚を通じて、本家筋のサヴォイア公ヴィットーリオ・アメデーオ2世から家督を奪う野心があると察知したルイ14世が破談にした。
1688年1月22日ヴェルサイユ宮殿の付属礼拝堂において、従叔父に当たるコンティ公フランソワ・ルイと結婚した。マリー=テレーズは夫を熱愛したが、コンティ公の関心は家庭外にあった。コンティ公はマリー=テレーズの弟コンデ公ルイ3世の妻であるルイーズ・フランソワーズ(ナント姫)に手を出したほか、男色趣味の持ち主でもあり〔Pevitt, Christine, ''Philippe, Duc d'Orléans: Regent of France'', Weidenfeld & Nicolson, London, 1997, (English), p.100.〕、妻にさしたる興味を感じなかった。夫はスイスヌーシャテル公領の相続請求を行ったり、1697年にはポーランド国王選挙に出馬して王冠の獲得を狙うなどしたが、いずれも失敗に終わった。
夫や子供達と幸福な家庭生活を築けなかったマリー=テレーズは、持ち城の1つリスル=アダンの城館で孤独に暮らした。物静かで信心深く、妹のメーヌ公ルイ・オーギュスト夫人ルイーズ・ベネディクトのように政治的な野心も持たないコンティ公妃は、ヴェルサイユの宮廷人たちから慕われていた。母方の従叔母にあたるオルレアン公フィリップ1世夫人エリザベート・シャルロットは、マリー=テレーズについて次のような人物評を残している。

公妃はコンデ親王家の一族の中では唯一気立ての良い人である。きっとドイツ人の血が流れているので、ドイツ人気質を受け継いだのだろう。小柄で、左右の足の長さがやや違うようだが、びっこではない。父親譲りの美しい目の持ち主である。目以外は取り立てて美しいわけではないが、諸芸に通じていて敬虔な人柄である。彼女が夫に苦しめられている様は誰しも同情を禁じ得ない〔Translated Memoirs of the Duchess of Orléans 〕。

1706年に夫と死別した後、マリー=テレーズはコンティ親王家の持ち城の大規模な改修工事に乗り出し、手始めにセーヌ川左岸のオテル・ド・コンティ(''Hôtel de Conti'')〔http://www.mintsoftheworld.com/frenchmint.html〕に、次にその近くに建つオテル・ド・セニュレ(''Hôtel de Seignelay'')〔Now ''Ministère de l'artisanat'', 80 rue de Lille, Paris 7e.〕に手を入れた。公妃はこの改装工事を宮廷の首席建築家だったロベール・ド・コットに依頼した。1732年、オテル・ド・コンティで世を去った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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